できるに気づき、できるで羽ばたく【国内留学・海外留学のハナサカデミア】

  1. 英語の学習法

コンプレックスの塊を持つ自分が大嫌いだった。人は成功体験を通して自信を持ち、自分を変えることができる。

こんにちは。世界を飛びまわる親子留学カウンセラーのハナ(@harunatzy)です。

わたしは小さい頃、コンプレックスの塊でした。

とにかく人見知りが強くて、集団にはなかなか馴染めなかったうえに、超ド級の運動音痴だったからです。

子供のころって、運動ができる子がヒーローじゃないですか。ドッジボールなどの球技や鬼ごっこなどの外遊びでも、いつもわたしはヒーローの足を引っ張る足手まといでしかありませんでした。

この記事では、コンプレックスの塊だったわたしの幼少期の体験談と自分が変われたきっかけを紹介します。

※コンプレックスの塊だったわたしが挑戦しまくる自己肯定感の塊になった理由についての記事はこちらです。

家の外が嫌い、自分も大嫌いだった子供のころ

保育園の頃から、わたしは通園するのが嫌で、よく泣きながら家の柱にしがみつき「保育園行きたくない」と言って親を困らせたことをよく覚えています。

保育園の先生が嫌いでした。

保育園のお昼寝の時間、周りの子供たちがスヤスヤ眠る中、わたしはまったく眠れなかったからです。

お昼寝の時間、寝る準備をした園児の顔の上にハンカチが置かれ、先生が一人一人の様子を確認して、眠った子供のハンカチを取って行くというルールがあった保育園。

顔の上のハンカチを早く取って欲しい、いつまでも眠れず、顔の上のハンカチが息苦しくて、毎日わたしは寝たふりをしました。

園児が全員寝たことを確認すると、保育園の先生たちはいつもおしゃべりを始めます。

おしゃべりの内容は、園児や園児の保護者の悪口、仕事の愚痴など。寝たふりをするのも苦痛の時間でした。

わたしは家の外の世界が嫌いになりました。

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小学生になっても、わたしは集団生活が苦手だったのを覚えています。

相変わらずの運動音痴だったので、体育の時間や運動会ではいつもチームの足を引っ張る足手まといでした。

毎年、運動会の前日は、台風か何か大事件が起こって運動会が中止になりますように、と全力で祈っていたことをよく覚えています。

そんな自分も大嫌いでした。

わずかな自尊心が生まれた100点のテスト

我が家では、テストで100点をとると100円がもらえるというお小遣いシステムがありました。

勉強はわりと好きだったので、テストは100円をもらえるチャンスだと思っていたわたし。

そんなある日、みんなが100点を取れるわけではないと知った時、わずかな自尊心が生まれました。

自尊心とは、自分は価値のある人間なんだと感じる心のことです。

40位から1位になった英語。私はやれば出来る

しかし、中学生になり、そのわずかな自尊心さえ崩れました。

当時、中学1年生から英語の授業がスタートしましたが、わたしは英語がまったくわからず、はじめのテストではクラス40人中40位でした。

多くの生徒が中学入学前から英語学習の事前準備をしていたのに対し、わたしはアルファベットのABCも知らない状態で英語の授業に臨んだから。

初日の授業ではボコボコに打ち負かされたような状態でした。

勉強で初めて感じた劣等感。わたしは、英語との出会いを最悪の形で迎えたのです。

悔しくて、悔しくて、一人で英語の勉強を始め、中学校の教科書に出てくる単語や文法を片っぱしから全部頭に叩き込んでいきました。

加えて、毎日、NHKのラジオ英会話を聴きました。

ラジオ英会話から流れる外国人の発音を真似して、何度も繰り返し独り言をつぶやき続ける練習方法です。

そうして、劣等感から生まれた負けず嫌い精神で必死に勉強していたら、いつの間にか英語の成績が40位から1位になっていました。

感激です…!

それから、高校卒業レベルと言われる英検2級にも挑戦し、中学生ではめずらしく独学で一発合格することも出来ました。

「自分はやれば出来るんだ」という自信が生まれ、いつの間にか英語が大好きになったことを覚えています。

がむしゃらだった私を静かに見守ってくれた家族に感謝

英語をもっと勉強したい。英語をつかって外国の人達と話をしてみたい。独り言ではなく、実際に英語でコミュニケーションをとってみたい!

だんだんと英語への思いが膨らみます。

両親に留学させて欲しいとお願いしたところ、「高校受験で熊谷女子高校に合格したら、留学に行かせてやる」と父に言われました。

熊谷女子高校とは、受験が学区制だった当時、わたしの学区だった埼玉県北部では最難関の公立高校です。

埼玉県では公立高校の方が人気は高く、偏差値トップの公立高校は、それぞれの学区の男子校・女子校という風変わりな伝統があります。

熊谷女子高校は地元では憧れの存在で、秀才の生徒たちが集まる学校というイメージしかなかったので、ものすごく高いハードルを目の前に置かれたような気持ちでした。

熊谷女子高校のペアの男子校である熊谷高校に兄が通っていたのもプレッシャーだったことを覚えています。

でも、やるしかないと思いました。

今、思い返しても、高校受験の前の半年間が、わたしが人生で一番勉強した期間です(笑)

それまでの英語の勉強と同じように、国語、数学、理科、社会の全ての科目を必死に勉強しました。

「留学したい」という思いが、わたしを奮い立たせてくれたのです。

朝から晩まで、トイレの中でも、ひたすらに受験勉強をしました。

学生時代には気づきませんでしたが、自分の全ての時間を勉強だけに費やすことが出来るのは、とても恵まれていて、ありがたいことです。

がむしゃらだったわたしを静かに見守り、応援してくれた家族には心から感謝しています。

人は成功体験を通して「自信」を持つことができる

その結果、わたしは第一志望の熊谷女子高校に無事合格することが出来ました。

合格発表の日、高校内の掲示板に自分の受験番号を見つけた時は、嬉しすぎて大号泣です。

それまでの日々のすべてが今日に繋がっていると思うと、大変だったことも辛かったことも一つ一つの経験に感謝したくなるほど。

また、滑り止めとして受験した私立本庄東高校の特進クラスも合格しました。

担任の先生に校長室に呼ばれ、中学校でわたし1人に「特待生」の通知が来たと言われたときは驚愕したことを覚えています。

入試の成績が受験者2,000人以上の中で上位50位以内に入った生徒は「特待生」として3年間の学費など全てが無料になるそうです。

実は、受験前に担任の先生と面談をした時、本庄東高校の特進クラスは偏差値が高いから滑り止めにはならないと言われていました。

つまり、本庄東高校は落ちるかもしれないから、滑り止め受験の高校を変えた方がいいということ。

ギリギリ合格したのではなく「特待生」として完璧に合格したと認めてもらえたことは、先生を見返せたようで本当に嬉しかったです。

最終的に、わたしは憧れていた熊谷女子高校を選んだため、本庄東高校の特待生入学は辞退しましたが、その経験は大きな成功体験となりました。

人は成功体験を通して「自信」つまり自分を信じる力を持つことができるんだと学びました。

成功体験が、コンプレックスの塊だった自分を変えてくれた

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高校生になったわたしは、新聞社主催の短期留学プログラムに申し込み、高校2年生の夏休みの間、オーストラリアの高校へ通うことが出来ました。

生まれて初めての海外経験となったオーストラリア高校留学は、たくさんの気づきや学び、それから感動でいっぱいとなった留学体験です。

目的を持って高校受験のために一生懸命努力できたこと、それにより目標を達成できたという成功体験が、コンプレックスの塊だった自分を変えてくれたのです。

わたしはこの経験を通して、自分は価値がある人間なんだという「自尊心」、自分を信じるという「自信」を持つことが出来るようになりました。

だからこそ、子供たちにも、たとえ大きな壁にぶつかったり苦しい思いをしたとしても、それをやりきった時に自尊心と自信を持てるような経験をたくさんして欲しいと思っています。

* * * * *

ホームステイやホームシックの経験、高校時代のオーストラリア留学について書いた次の記事はこちらです。もしよかったら読んでください。

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コメント

  • コメント (2)

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    • サティ
    • 2017年 9月 03日 4:19pm

    今まさに、子育てと日本の国際情勢の間で揺れている千葉県在住の主婦です。
    同い年で、かけはしさんの講演会へも何度か足を運びましたが国内に留まり未だに行動を起こせずにいます。
    どうしたらどう行動したらいいのか、、ホストファミリーも探しましたが、その折妊娠がわかり計画を断念しました。
    それから下の子供も四歳になりました。
    飛行機には慣れていますが、果たして10時間以上耐えられるのか、、心配です。突然のメッセージで失礼だとは思いますが、どうかアドバイスを下さればと思います。

      • 英恵
      • 2017年 9月 04日 9:44pm

      サティさん、はじめまして。英恵です。
      ブログを読んでくださり、ありがとうございます。

      東日本大震災後、同じ時期にかけはしさんの講演会へ足を運ばれていたのですね。
      必死に情報を得ようと行動を起こされていたサティさんのお気持ち、痛いほどよくわかります。
      ホストファミリーを探すまでの具体的な行動をされながらも、妊娠がわかって計画を断念されたというのは
      本当に苦渋の決断だったのではないでしょうか。

      そして、その際に妊娠されたお子様はもう4歳なのですね。
      震災時、年長さんだった私の息子はもう中学1年生、1歳だった娘ももう小学2年生です。
      時の流れを痛感します。

      昨今の国際情勢を見ていると、もはや絶対に安全だと言い切れる国はないかもしれないということと
      このボーダーレスの時代、どこに住むかを選ぶのは私達自身だと改めて思います。

      サティさんは10時間以上のフライトを想定されているとのことで、
      行き先はオーストラリア、もしくは北米、欧州を考えていらっしゃいますか?

      私は震災後に子供2人を連れてアメリカへ行ったのですが、
      確かにフライト時間が長かったことと、時差が大きく昼夜逆転になってしまったことは
      子供の連日の夜泣きに繋がり、想像以上に大変でした。

      それに比べて、フィリピンのセブ島は4時間半で行けるので、移動がとても楽なのが良かったです。
      長時間のフライトが心配な場合は、中間地点で1泊するなど、
      どこかを経由して行くというのも良い方法だと思います。

      とは言っても、お子様が飛行機に慣れているのでしたら、
      持参するおもちゃを工夫すれば10時間程度のフライトは心配する程でもないかもしれないです。

      どんなことも挑戦してみなければわかりません。
      不安なことはひとつひとつ箇条書きにして解消していってください。
      すべてがクリアになったら、あとは行動あるのみです。

      それでもどうしても消えない不安があれば、いつでもご連絡くださいね。
      サティさんのご決断を応援しています。

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