子供のことを何よりも第一に考え、自分のことはいつも後回しで一生懸命育児を頑張っているお母さんへ、どうしても伝えたいことがあります。
まずは自分を幸せにしてください。あなたが笑えば、子供はそれだけで幸せなのです。
今回は、親から子供への愛情よりも子供から親への愛のほうが深いということを痛感した体験談をお伝えします。
この記事であなたに伝えたいこと
親から子供への愛情よりも、子供から親への愛のほうが深い
2児の子育てをしながら、とても強く感じたことがあります。
よく「親は子供に無償の愛を注ぐ」と言われていますが、児童虐待などの現実もあり、必ずしも全ての親が子供に無償の愛を注いでいるわけではありません。
しかし、全ての子供は親に全力で愛情を注ぎます。それはもう無条件に。
たとえ、親から罵声を浴び、否定され続ける心理的虐待を受けたり、食事を与えられず、不潔なままで放置されるなどの育児放棄をされても、子供は果てることなく親に愛を注ぎ、親からの愛を求め続けるといいます。
ママが幸せであることが、子供は何よりも嬉しい
わたしは孤独育児で育児ノイローゼのような状態になっていた時、イライラして子供を怒鳴ってしまうことがよくありました。
ソファやテーブルに油性ペンで落書きしたり、食べ物をわざとグチャグチャにするなどのいたずらはもちろん、お皿やコップを落として割ってしまった時のような、悪意のない失敗まで。
叱る必要がないことまで感情的に怒ってしまい、反省して自己嫌悪になってばかりいたことをよく覚えています。
ひどい時には、子供が「ごめんね」と謝っても自分の感情をコントロールできずに怒り続けてしまうこともありました。子供が悪いわけではなく、わたしの心に余裕がないだけなのに。
それでも、後から「ママ、強く怒っちゃってごめんね」と謝ると、息子も娘も必ず「いいよ」と言ってくれるんです。
世界で一番、わたしのことを無条件に受け入れてくれるのは、夫でも親でも友達でもなく、我が子だと思いました。
どんなにダメな母親でも、子供は果てしなく深い愛ですべてを受け止めてくれます。
わたしが思い出し笑いなどでいきなり笑い出すと、なにが面白いのかもわからないはずの子供たちまで、いつも一緒になって笑いだすんですもん。
そんな子供の純粋な笑顔を見て「あぁ、わたしが笑っていれば、子供たちも笑顔になるんだなぁ」と何度も痛感させられました。
幼い子供にとっては親、特に母親が一番。どんな環境であれ、お母さんが辛そうにしている姿を見るよりも、お母さんが自分らしく幸せそうに生きているほうが、何よりも一番嬉しいのです。
経験は誰にも奪われない財産
子供のためには、母親はどんなに辛い状況でも笑っていろと言いたいわけではありません。
自分が理想の母親になれなくても、子供に理想的な環境を与えることが出来なくても、自分のことを責めて追い詰めないで、って伝えたいんです。
生きていれば、辛いことも理不尽なことも失敗することもたくさんあります。でも、どんな経験も無駄なことはありません。
たとえ誰かに騙されたり、大失敗をしてお金やモノを失ったとしても、経験だけは誰にも奪うことのできない財産として残ります。
人生は辛いことがあった分、必ず楽しいことも、嬉しいことも同じくらいやってきます。というよりも、辛い経験をした分、ほんのささやかな幸せを幸せと感じられるような感性が育つのです。
例えば、交通事故で両足を失った人や、病気で両目の視力を失った人が、死にたいほど辛い思いを乗り越えた後に、今まで感じることのなかった幸せや感動を感じることがあるように。
それは、両手両足があり、視力があり、思い通りに体が動かせることが当たり前だと思っている人には感じることの出来ない幸せかもしれません。
フィリピンには、日本人から見たら「可哀想」と思うような貧しい人達がたくさんいます。壁のない掘っ建て小屋に住み、穴の空いた洋服を着ていても、イキイキと人生を楽しんでいる人達が多いです。
WHOによる世界の自殺率ランキング(2015年度)では日本は18位、フィリピンは150位。物質的に恵まれているはずの日本の方が自殺者がはるかに多いという現実があります。
つまり、恵まれた環境にいることが絶対的な幸せではないのです。
もし今、辛い状況の中で死にたいほど悩んでいる人がいるとしたら、将来きっとその経験はあなたの財産になるということをどうか知ってほしい。
失うということは、新しい気づきを得るということ
今、子供たちと一緒に過ごせる一分一秒が本当に嬉しく、愛おしくて貴重な時間だと感じています。
それは、仕事が忙しくなり、子供たちと過ごせる時間が少なくなってしまったことや、子供が成長して親元を巣立つ日が近づいていることが、大きな理由だと思います。
出産後、24時間365日の育児が永遠に続くような錯覚に陥っていた頃には、感じることのできなかった感覚です。
手があることや足があることと同じように、子供たちと一緒にいることが当たり前だった頃には、親子で一緒に過ごせる時間はどんなに贅沢な時間かということに気づけませんでした。
今は子供たちが成長して別々に過ごす時間が多くなり、子供たちが健康に育ち自立しつつある嬉しさとともに、言いようのない寂しさを感じます。
それでも、手足を失って初めてその有り難さが分かるように、きっと今の状況にならなければ、子供たちと一緒に過ごせる時間がこんなに愛おしくは感じられなかったでしょう。
人はきっと、失ったものや失いつつある経験をしないと、本当の意味での価値を感じないのかもしれません。
なぜなら、人は「当たり前」だと思っていることには価値を感じないから。
ママが笑っているだけで子供は幸せ
当ブログのお問い合わせフォームを通して、子育て中のママさんたちから、さまざまなご相談をいただいています。
相談の内容は、産後うつが辛い、育児に疲れた、自分は母親失格だと思う…といったものが多いです。
日本では、母親は自分を犠牲にしてとにかく子供を優先することが「当たり前」とされています。
母乳推奨により朝も昼も夜も1〜2時間おきに母乳をあげ、食育のために栄養バランスの高い離乳食をつくり、公共の場では子供が泣かないように「しつけ」をして、母親として全力を尽くすのが「当たり前」。
そんな日本社会特有の「完璧な母親像」が、無意識のうちに母親たちに押し付けられています。
でも、ちょっと待って。
母乳をあげたくても母乳が十分に出ず悩んでいるママは多いです。
栄養バランスの高い離乳食を食べさせたくても、子供の好き嫌いが激しかったり食物アレルギーで食事に悩んでいるママも多いです。
赤ちゃんは理由があって泣く場合もあれば、理由なんか本人もわからないような状態で泣き続けることもあります。
周囲に理解がなく、協力もない中での孤独育児は母親を追い詰めます。特に、責任感が強く、頑張り屋さんのママは、理想の育児と比べてできていないことばかりを非難し、自分を追い詰めてしまうのです。
子供のことを何よりも第一に考え、自分のことはいつも後回しで一生懸命育児を頑張っているお母さんたちへ、どうしても伝えたいことがあります。
まずは自分を幸せにしてください。あなたが笑えば、子供はそれだけで幸せなのですから。
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子育て中のすべての母親に読んでほしい。「かぜのなかのおかあさん」の詩について書いた記事はこちらです。もしよかったら読んでください。