セブ親子留学 /フィリピン母子移住をきっかけに世界を舞台に働く2児の母。教育は子どもへの最高のプレゼント、親子留学で自分自身と子供の可能性を大きく広げよう!

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フィリピン、セブに母子移住して人生が変わった!死にたくなるほど育児に悩んだ私が子育てを楽しめるようになった道のり

フィリピン、セブに母子移住して価値観が大きく変わり、人生が変わった親子留学カウンセラーのハナです。

今回は、死にたくなるほど育児に悩んだわたしが子育てを楽しめるようになるまでの道のりをお伝えします。

初めての出産後にどん底まで落ちて死のうとした経験について書いた記事はこちらです。

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孤独な育児、育児に協力してくれない旦那と離婚


実は、わたしは一度離婚をし、同じ男性と再婚をしました。

東日本大震災後の2012年、子供たちの将来を考え、フィリピンのセブに親子留学をしてそのまま移住したのは、結婚10年目のことです。

フィリピン、セブに母子移住を決断した理由について書いた記事はこちらです。もしよかったら読んでください。

セブ行きを決断した際、旦那は賛成も反対もしないという立場でした。

そのため、自分の両親に頭を下げ100万円のフィリピン親子留学費用とセブ移住資金を借り、母子3人で出発。

離婚をしたのは、海外移住してから1年後のことです。

セブで就職をして生活が安定し自立ができたことと、親からの借金を全額返済できる目処がついたことが後押しになったと思います。

10年間の結婚生活を通しては、子供の病気や障害、不妊治療など、たくさんのことを乗り越えてきましたが、わたしはいつも孤独でした。

子宮癌の可能性が高いと診断され酷く落ち込んだ時も、子供の障害がわかって涙が止まらなかった時も、産後うつで死にたくなるほど辛かった時も、旦那に真剣に向き合ってはもらえなかったからです。

妻であるわたしや子供が高熱で寝込んでいても、飲み会に行っては連絡もなく帰ってこないというのは日常。

子供のオムツを替えるとか、夜泣きの子供を抱っこするとか、旦那にはそういう実際の作業をして欲しいわけではありませんでした。

いや、もちろん、してくれた方が嬉しいに決まっていますが、そんな高望みはしません。

ただ、毎晩「今日はこんな大変なことがあった」「こんなことが嬉しかった」「こんなことが辛かった」という話を少し聞いてもらえるだけで、どんなに救われたかと思います。

育児の大変な時期にパートナーによる精神的な支えがないということは、想像以上に大きな溝をつくります。

そうして少しずつ深まった夫婦の溝はもう修復ができないレベルに達していると思い、離婚を決断しました。

ずっと、実質母子家庭のような生活を送ってきたので、父親がいないからといって子供たちが寂しがる様子はなかったことも決断の理由の1つです。

積み重なったマイナスの感情に支配されていたわたしは、きちんとケジメをつけたいと思ったのです。

旦那は、当初は離婚に反対したものの、話し合いの末に応じてくれました。

育児の一番大変な時、わたしの家族はいなかった

わたしは24歳で第一子を出産。息子は酷いアトピー性皮膚炎があり、四六時中、体を搔きむしり続けました。

実家は遠く、結婚してから新しく移り住んだ土地で友達もいない、全く思う通りにいかない初めての育児。

生まれつき片目が見えていない不同視弱視という障害があることもわかりました。

母乳以外は飲んでくれず、昼も夜も関係なく1~2時間おきにおっぱいを欲しがり、卒乳した1歳7ヶ月まで3時間以上ぐっすりと寝たことはなかったです。

しかし、旦那は単身赴任でもないのに通勤圏内の自宅に帰って来ず、深夜まで仕事をして会社近くのホテルで寝るという生活。

もしかしたら旦那は外に好きな人がいるんじゃないか、と疑いたくなる数々の出来事も。ひたすら孤独だったことが一番辛かったのを覚えています。

母親は子供が生まれた途端に生活のすべてが一変して24時間身動きが取れなくなりますが、父親はまるで独身の頃と変わらない自由があるという現実。

とにかく自分に余裕がなくて、その辛い気持ちを旦那に伝えようにも、話せる時間なんてほとんどない。

たまに会えてもつい感情をぶつけるような言い方しかできず、ますます旦那は帰ってこなくなるという悪循環だったのです。

育児書通りの子育てをしようとすればするほど、思い通りにいかない現実とのギャップが苦しく、イライラしては子供を怒鳴ってしまう。そんな自分が心底嫌いになりました。

自律神経失調症になり、どん底まで落ちて死のうとした経験もあります。

「家族」の定義が、大変な時に助け合い支え合う最も身近な存在であるならば、育児の一番大変な時にわたしの家族はいませんでした。

元旦那に対する態度を深く反省した、4年間のセブ移住生活


しかし、セブに移住した4年間を通して、わたしの考えは大きく変わりました。

シングルマザーとして働きながら子育てをしていく中で、元旦那への感謝の気持ちや過去の自分の言動を深く反省をする気持ちが芽生えたのです。

わたしは出産を機に株式会社NOVAを退職して専業主婦となり、社会から離れていました。

セブ移住後に語学学校に就職し、移住2年目には新しい学校を立ち上げ校長として学校運営を担ってきたことで、果てしなく大きなプレッシャーの元で働く厳しさを学びました。

育児も本当に大変な重労働ですが、責任ある役職で働くということも、また別の大変さと苦しさがあります。

わたしは旦那のことを責める一方で、彼の大変さや苦しさを理解しようとしていただろうか。

自分に余裕がないばかりに、「わたしの話を聞いてくれない」「育児に関心を持ってくれない」「わたしや子供が大変な時も家族を優先してくれない」など、旦那がしてくれないことばかりに意識が集中していなかっただろうか。

彼がしてくれていたことや一生懸命働いて家族を養ってくれていたことに、きちんと感謝していただろうか。

過去の自分の言動や彼に対する態度を深く反省する気持ちでいっぱいになりました。

子供のためにとかではなく、ハナエが大好きだから再婚したい


旦那もまた同じように、離婚後にものすごく後悔したそうです。

彼からすると、日本では1~2週間に1度ほど自宅に帰れば、好きな時にわたしたち家族に会えました。

しかし、わたしにも子供たちにも会えないという長い時間を過ごす中で、初めて寂しさや孤独を感じ、初めて家族の大切さを痛感したそうです。

さらに、旦那はわたしがいなくなってからも、家庭のわたしの習慣を引き継いでいてくれました。

近所のママ友達の家々に定期的にお裾分けやお土産を持っていくという習慣です。

結婚後わたしがその土地に引っ越してから築き上げたご近所付き合いをそのまま大切にしてくれていたことに驚きました。

わたしたちがいつ日本に戻ってきてもいいように、ご近所さんとのネットワークを保とうとしてくれていたのです。

その事実は後で知ったのですが、驚きと同時に、純粋にとても嬉しかったです。

出産後の慌ただしい日常の中では旦那の言葉や態度から愛情を感じることはなかったため、旦那にとってわたしは女性ではないどころか家族としての愛情さえないのかと諦めていました。

だからこそ、セブに移住した4年目に「子供のためにとかではなく、ハナエが大好きだから再婚したい」と彼が言ってくれた時は、ものすごく感動したことを覚えています。

娘の小学校入学のタイミングである2016年の春、4年間のセブ生活に終止符を打ち、帰国。

わたしは、一度離婚した旦那と奇跡のような再婚を果たしたのです。

自分に甘く他人にも甘いフィリピン人と接したら育児が楽になった


フィリピン、セブでの母子移住生活により、子育てに対する価値観も大きく変わりました。

日本に住んでいると、世界トップレベルの利便性が当たり前であり、その完璧さが常識であり、「みんなの常識」を外れることは非難されがちです。

単一言語・単一民族であるがゆえに多様性や個性は受け入れられづらい空気があります。

例えば、商品やサービスの品質には少しの間違いも許されなかったり、個性の強い子供は問題児扱いされたり、公共の場で幼い子供が騒ぐと苦情をもらい「しつけが出来ていない親」という烙印を押されたりします。

それらの日本独特のクソ常識が、母親に「完璧な育児」を押し付けています。

日本の外に出てみると、そんなことは決して当たり前ではないということがわかります。 フィリピン人は他人の間違いや失敗に寛容です。

もちろんインフラサービス等について言えば不便な点は多々ありますが、逆にそのゆるさが楽な時もあります。

わたしの場合、自分に甘く他人にも甘いフィリピン人を参考にしてみたら、育児がめっきり楽になりました。

セブを含めたフィリピンでは、「みんなで子供を育てる」という意識が強いです。

子供が多く、親戚一同の大家族で住んでいる人が多いフィリピンでは、お互いに協力しあって家事や育児の責任も共有するのが当たり前。

親戚どころか、近所に住んでる人やレストランの店員さん、街で偶然出会った人など、赤の他人がまるで自分のことのように積極的に手を差し伸べて育児に協力してくれます。

日本では子連れの外出はとっても大変ですが、セブではむしろ子連れの方が外出しやすく感じるほど。

不完全な自分も、まだ未熟な我が子も、さらには完璧ではない自分の育児も、すべて社会から肯定されているような安心感がありました。

過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる


ものの見方を少し変えるだけで、世の中は180度変わって見えること、不満が感謝に変わり絶望が希望に変わることを、わたしは知っています。

「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」という言葉があります。カナダの心理学者であり精神科医でもあるエリック・バーンの有名な言葉です。

過去の嫌な出来事や他人の欠点、社会や組織への不満を募らせ、いつまでも思い悩んでいても何も変わりません。

しかし、自分の行動ひとつで未来を変えることは出来ます。

わたしは日本の子育てしづらい社会を変えていきたいです。でも、社会とか国を変えるのは途方もなく時間がかかります。

それならば、そこに全ての時間を捧げるよりも、いま産後うつに苦しんでいる母親が最短で心を軽くできる方法や手段をお伝えしたいです。

フィリピン、セブでの親子留学や母子移住生活はわたし自身を大きく変えてくれました。

住む場所、生きる場所は選ぶことが出来ます。たとえ短期でも、まったく違う価値観の国で異文化に触れる経験は、視野を大きく広げてくれるのです。

わたしがセブ島親子留学で感じた、日本とフィリピンの子育て環境の違いについて書いた記事はこちらです。

子供にとってはママが笑顔でいることが一番の幸せ

現在、わたしは自らの体験を活かして親子留学カウンセラーをしています。

もし親子留学に興味がある方がいらっしゃったら、ぜひその夢を実現するお手伝いができたら嬉しいです。

ですが、海外へ飛び立つという大きな一歩を踏み出すのはものすごく大きな勇気が必要だってこともわかっています。

だから、いま子育てに悩んでいるママは、少しだけ環境を変えてみることをおすすめします。

頑張りやさんのママほどすこし肩の力を抜いて、たまには誰かを頼って。意識的に自分自身をいたわる時間をつくることが大事です。

育児に煮詰まったら、ベビーシッターサービスを利用してセブでの子育て生活を疑似体験してみてください。

ちょっとの時間でも子育てを共有し支えてくれる存在がいるだけで、心にゆとりを持つことができます。

心にゆとりができると子供に優しくできるようになり、わたしのように自分の育児に自信が持てるようになるから。

病児保育や家事代行、英語のレッスンもしてくれるシッターサービスはこちらです>>

シッターさんは現役保育園の英語の先生。ダイエットや食生活改善用の1週間分の作り置き料理をお願いすることもできます。

ママ自身のやりたいことに挑戦して充実感や達成感を感じながら笑顔で子育てができたら、それが一番。

子供にとってはママが笑顔でいることが一番の幸せなのだから。

* * * * *

ママが笑っているだけで子供は幸せだということ、子供が親を思う愛情の強さについて書いた記事はこちらです。もしよかったら読んでください。

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【著者】近藤英恵(コンドウハナエ)プロフィール

親子留学カウンセラー/ハナマルサロンオーナー。子供2人を連れてフィリピン親子留学後、母子で4年間の教育移住。セブの語学学校勤務を経て、新しい学校の設立と運営を経験。 セブでは幅広い年代の日本人2,000人以上の現地サポートをしながら、フィリピン人約1,000人の面接、マネジメントに携わる…
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